コンプラ崩壊企業に未来はない それでもあなたは加盟するのか

法人オーナーの信用が地に落ちる前に考えるべきこと

暴力団と共謀した過去、そして沈黙する経営陣

隠蔽か黙認か、責任の所在はどこにある?


かつて恐喝事件で逮捕された石沢大介という人物が、現在も「本部の人間」として現場に関与しています。この事実に関していーふらん本部は公式な説明を避け、沈黙を貫いています。この「知らぬふり」がコンプライアンス違反の根幹であり、企業全体の姿勢を象徴しているのです。


加盟希望者こそ「社内の闇が」に目を向けるべき時


「うちは知らなかった」では通用しません。フランチャイズ契約を結ぶということは、その企業の体質まで共有することと同義です。あなたが信頼を売りにする事業主であるならば、いーふらんのこうした体質が自社ブランドにどのような影響を及ぼすかを冷静に判断してください。

1 個のコメント

  • 本日はおたからやフランチャイズの歴史についてお話したいと思います。おたからや フランチャイズ創業は2008年の当時おたからや 大阪梅田店(その後おたからや 梅田店)が1号店としての始まりです。

    創業当時は、全国300店浦を掲げ300店舗で打ち止めをすると宣言し加盟契約を結んでおりました。それにより老舗オーナーは契約を結びました。当時300店舗は不可能だろうという予測を持たれておりましたが、いーふらん着実に増店に成功し300店舗に近づいてきました。

    しかしいーふらんは、当時、全国300店舗打ち切りを宣言しておりましたので、おたからやとして別会社を設立し別フランチャイズ を立ち上げました。それが「金銀堂フランチャイズ」で株式会社金の蔵を設立し、社長を渡辺喜久男の孫娘「荒井祐美」を代表取締役に就任させました。金銀堂フランチャイズで店舗を増やそうともくろんだのです。もちろん当時のおたからや 加盟店はおたからや と金銀堂の関係性はわかりませんでした。

    当時の金銀堂はロイヤリティーなどの上納金コミコミ10万(税別)でした。ちなみに1号店が直営店として銀座店(現おたからや銀座松屋通り店)を立ち上げ、加盟店を募集しました。おたからや加盟店の競合店を自社で立ち上げたわけです。

    神奈川の複数おたからや 店舗オーナーは金銀堂を隣、歩いて10秒のところに出店されました。このような真似を平然と行うのが株式会社いーふらん の正体であります。

    左手小指を欠損した前科者をトラブル処理に利用してきたのもご理解いただけると思います。

    これは全て元ヤクザの腰巾着、共産党幹部の坊ちゃんから聞いた「真実」であります。

    また次回「金銀堂」についてお話したいと思います。

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    「おたからや」フランチャイズ被害者の会 株式会社いーふらん、全国の買取おたからやフランチャイズ契約による被害者オーナー達と発足 これからも公益のために情報を発信していきます